ゲスト対談・特集記事
連載
私たちは単に「フェンシングクラブ」をやりたかったのか?
MNHスポーツへの想い vol.1Part.1 私たちは単に「フェンシングクラブ」をやりたかったのか?
<取締役社長 小澤尚弘インタビュー>
2023年6月。 東京ガーデンフェンシングクラブを運営している「一般社団法人ガーデン」は、 「株式会社MNHスポーツ」へと組織体制を変更した。
リニューアルにあたっては、MNHの理念を体現していきたい思いがあること、 フェンシングクラブの運営のみならずスポーツの多様な可能性を追求していく決意が あることを強調しておきたい。 MNHのフェンシングクラブ設立は2014年にさかのぼる。 当初の趣旨を確認することによって、今後MNHが目指すものが鮮明になると思い、 あえて振り返ってみることにする。
自分の家の隣にフェンシング場をつくりたい
フェンシングの世界大会への出場経験があり、プロ級の腕前を持つMNHの菅会長(*1)は、そんな夢を抱いていた。
フェンシングは、太田雄貴選手のオリンピックでの活躍が注目され、今でこそ知られてきたスポーツだが、日本ではまだまだマイナーなスポーツである。菅会長は、そんなフェンシングをもっと広めたいと思っていた。
私は会長の素朴な想いに共感した。ちょうど東京・調布の4階建てビルにMNHの事務所を移転するタイミングだったこともあり、オフィスの上の空フロアをフェンシング場にすることにした。
もう9年前になる。これがMNHの(一般社団法人ガーデンの運営による)フェンシングクラブの始まりだった。
2014年当時の趣旨はこうだ。
ーーフェンシングを皮切りに、マイナースポーツをもっと盛り上げていこう。働く場のない若者の雇用をつくり出しているMNHとしては、マイナースポーツに関わる雇用(*2)を増やしていきたいーー
このような大義を掲げるなかで、フェンシングはひとつの “手段” だった。
私としては、MNHでやりたいことを「ものづくり」を通じてやるのが母体のMNH、「スポーツ」を通じてやるのが新たな会社(一般社団法人ガーデン)と位置付けたかった。なにかよいシナジーが生まれれば、との期待もあった。
しかし現実には、MNHの理念や、当初の趣旨は浸透していかなかった。
経営母体が一緒なのに「名前が違う=まったく別会社」という認識が強まり、コーチや利用者にもそう思われていた。
さらに、だんだんとフェンシングクラブの運営自体にしか、頭がまわらなくなってきた。
「なんとか運営を続けないと」
「どうやって売上をあげていこうか」
そんな会話が社内でも飛び交った。
つまり、手段が目的化してきていたのだ。
コーチの代替わりも激しく、なんとか跡継ぎを探し、運営をつないでいる側面もあった。
地域に根ざしたフェンシング道場として、フェンシングの知名度アップに少なからず寄与はしてきた。しかし、当初の趣旨とは裏腹に「単なるフェンシングクラブ」という器を続けざるを得なかったのだ。
私たちは単にフェンシングクラブをやりたかったのか?
いや、違う。 社内でいく度となく議論が起こった。
今回、フェンシングクラブのコーチが代替わりするタイミングで、私は決意した。
「もう一度原点に立ち戻ろう」と。そして、MNHという名前を冠することにしたのである。
そう、コナミとコナミスポーツの関係のように、「株式会社MNHスポーツ」と改名すれば、完全にMNHの子会社ということを周知できる。MNHとMNHスポーツは名実ともに同じグループで、向いている先も一緒である。これから2社のシナジーが高まるだろう、と。
かくして、「株式会社MNHスポーツ」という社名で、新たなスタートを切ったのである。
(*1)MNHの創業者であり前社長である。
(*2)マイナースポーツの指導者を志す人々に、教える場所を提供し、適切な報酬が支払われる仕組みをつくることでスポーツに関わる人の雇用を生み出す。最終的には指導者とスポーツを習いたい人を繋ぎ、マイナースポーツの振興を目指していた。