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マッチ箱博物館、誕生
MNHは何がしたいのか? vol.6マッチ箱博物館、誕生
※本連載はMNH菅会長のインタビューをもとにお届けしています。
ずいぶん前置きが長くなったが、ようやく「マッチ箱博物館」の話に入ることにする。
マッチ箱博物館は、鉱物や化石をマッチ箱に入れて、自分だけの博物館を開ける、そんなコンセプトのMNHの科学商品だ。今回詳細は他に譲るが、MNH独自のものづくり発想で企画し、多様な人が働く場を創造する仕組みを取り入れた商品である(*1)。
おかげさまで、 2023年6月現在、アマゾンや、三洋堂書店の店頭などで販売され、科学好きな子どもや大人の手に渡って喜んでもらっている。
このアイデアの発端は、MNHに入ってきた、美大卒の学生アルバイトだ。
もともと若い人の働く場を考えていたMNH。2021年に、たまたまお手伝いをしてくれていたアルバイトたちに対して、「この子たちの能力を活かしてすぐにやれる仕事はないだろうか」と菅会長は考えていた(*2)。
そんな矢先、会長の頭にある風景がよぎった。
粘菌の研究で知られる生物学者・南方熊楠が、昭和天皇に、学者・天皇の関心事でもある粘菌を手わたす機会があった。その時、粘菌を詰めたのが、“マッチ箱だった”(*3)。
学生時代にこのエピソードを知った会長は、「マッチ箱に何かを入れるっていうのは、素敵だな」と思っていた。一方前職の雑貨メーカーで「宝物発見」という“鉱物”をつかった玩具を販売した経験から、「マッチ箱になにか鉱物や化石をいれてみたら、売れる商品としての魅力が出せるかもしれない」と確信していく。
そして、当時のマッチ箱は味わい深いレトロなデザインがほどこされていたことから、そのイメージは“古い博物館”のような世界観へと発展していった。
こうしてうまれたのが、マッチ箱博物館だ。
マッチ箱博物館の可能性
さて、この商品。現在、130種類ほどの鉱物類を入れ、“手のなかの博物館”というコンセプトで販売している。ゆくゆくはアートなものを入れ、“手のなかの美術館”にしてもいいかもしれない。
勘がいい人ならもうお分かりかもしれないが、この商品の優れている点は、マッチ箱に入るものなら、中に入れるものは何でもいいということ。つまり可変性に優れ、商品展開の可能性を無限にもっているのだ。
一方で、食品一筋だったMNHが、なぜここにきて「雑貨」なのかも、触れておきたい。
食品は流通量が多く、継続的な利益が見込める。しかし食品製造には衛生面から制限も多く、多くの人に携わってもらうのには課題も多かった(*4)。一方、雑貨はそういった制約が少なく、多くの人たちを製造工程に取り入れることができる。しかもマッチ箱博物館は、箱に入れる(既成の)ものさえ揃えば、国内で“手作業”のような、働く場も創出できるのだ(*1)。
よってこのマッチ箱博物館は、日本で多くの人たちに製造工程に参加してもらい、さらなる商品展開も目指すMNHとしては、一つの活路だと捉えている。
つまり、社会的な意義があり、独自性や魅力もあり、応用可能。
この意味において、MNHのものづくりの価値観がぎゅっと凝縮された商品となっている。
ちなみにMNHのTシャツ発想でいうと、「マッチ箱」がTシャツで、「中に入れるもの」がデザインにあたると考えている。当然ながら知的財産権にも配慮した商品企画である(*5)。
(*1)現在マッチ箱博物館の製造の中で、マッチ箱の中に入れる“虫入り琥珀”を磨く工程を、福祉作業所に委託している。今後も箱づくりや梱包作業など作業範囲を増やしていく予定である。
(*2)美大生にはその後、マッチ箱のデザインを担当してもらった。
(*3)ちなみにこれは菅会長の誤解で、実際南方熊楠が手にしていたのは、実は大きな“キャラメル箱”だった。南方熊楠(1867年ー1941年)は和歌山県出身の日本の生物学者・博物学者・民俗学者。
(*4)“地域”の資源や労力を活用して商品づくりをしていたMNHにとって、その媒体には「食品」が適切だった。しかし食品の製造は、専用の加工工場を必要としたり賞味期限もあり、制限が大きい。障がい者の人やひきこもりの人に作業を依頼するにあたっても、生産現場に食品免許をもつ人材を要する。このような制約が、多くの人を巻き込む商品展開を目指すMNHの大きな課題でもあった。
一方、雑貨販売を得意とする菅会長のノウハウのもと、制約の少ない「雑貨商品」も考えてみるが、主に“海外生産”を基にして“全国流通”させないと、国内での競争力が高められない。するとMNH流の地域の福祉作業所を絡めた商品などは当然立ちゆかない。以上のことから、MNHでは「食品か雑貨か」を長い間逡巡している状態だった。
(*5)「マッチ箱博物館」は実用新案権を取得している。その他、鉱物・化石の分野の知財、仕入れ先や仕入れの規格など、あらゆる面で権利を保持している。